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教会誕生のあゆみ

【三重県から弘前へ】

天理教津輕大教会の始まりは明治27年(1894)に、三重県から渡って来た5人の布教師達による人たすけからでした。

言葉の通じない遠い異国さながらのこの弘前で、三重の一行は医者が治せず床で臥せっていた重患の病人等の元を訪ねて周り、市街各地をおたすけに奔走されたのです。

その頃弘前は、大変致死率の高かった肺結核や、津輕の風土病ともいわれた眼病などが流行っておりました。

布教師たちはその病人のために一心に祈りを捧げ、神様の御守護で次々と奇跡を見せ、鮮やかに治していきました。

【初代会長 葛西亦蔵の入信】

次第に、救けていただいた感激から天理教を信仰する者が増え、その中、明治28年に後の当教会の初代会長となる葛西亦蔵が入信しました。

亦蔵は肺水腫・心臓病・目の患いなどの重い病により7年越しで床に伏せっていましたが、布教師のおたすけにより病気すべてが治癒するという不思議なご守護をいただきました。

その後、三重の布教師達は亦蔵に青森布教を託して弘前を去り、亦蔵は救けられたご恩報じとしてたくさんの人に声を掛け、身上平癒を祈り続けました。特に不治の病として隔離され、差別されていたライ病(ハンセン病)等、近づくことさえ恐れられていたこれら多くの感染症患者に対し、物怖じせずに寄り添い、寝食をも共にしました。

すると、神様にその誠真実で願う態度が通じたのか、見事にみな病気が治っていきました。

それから続々と信者は亦蔵のもとに集まりだし、明治29年(1896)、弘前市和徳町に、ついに天理教津軽出張所が開設されたのでした。

【今現在】

その後、出張所は時代の変遷とともに場所や建物を変えながら、やがて弘前市の中心地である大町で、信者の拠り所として在り続け、初代会長の不思議なたすけより125年経った今では、教勢規模は北海道、新潟、千葉や奈良にまでも伸び広がり、天理教津輕大教会と名称をいただいてここに存在しています。

現在は8代目の会長(葛西直己 49歳)のもと、40人以上の住み込み者(※注釈)とともに、初代会長をはじめ先人達の残した道を誠の心で辿り、地域社会への貢献、病気や悩みを抱えた人たちへのおたすけに、日夜一手一つに取り組んでいます。